古代ローマ期・終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 16:02 UTC 版)
「エレウシスの秘儀」の記事における「古代ローマ期・終焉」の解説
古代ローマの初代皇帝アウグストゥスは紀元前20年、ギリシアを支配下に置いた。アウグストゥスは、インドの王ポロスからの親善使節がエレウシスの秘儀を見たいと熱望したのに応えて、季節外れだったにもかかわらず臨時に秘儀を催させ、自身もこれに参加したという。また、2世紀前半の皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化への傾倒からエレウシスの秘儀に入信している。 170年にエレウシスはサルマタイによって略奪を受けたが、皇帝マルクス・アウレリウスがこれを修復した。アウレリウスは、テレステリオン内で聖職者しか入れないアナクトロンへの常時入場を認められた唯一の皇帝となった。しかし、4世紀から5世紀にかけて、ローマ帝国でキリスト教の支持が高まると、エレウシスの権威は薄れた。「異教徒皇帝」と呼ばれるユリアヌス(治世:361年 - 363年)がエレウシスの秘儀を復興させるが、彼はローマ皇帝として最後の入信者となった。 約30年後の392年、皇帝テオドシウス1世は法令を発してエレウシスの聖域を閉鎖した。396年には西ゴート族の王アラリック1世の襲撃によって、密儀の最後の残滓も一掃され、古代の聖域は荒廃した。
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