古代の光と視覚の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:34 UTC 版)
「イブン・ハイサム」の記事における「古代の光と視覚の研究」の解説
古代ギリシア・古代ローマにおいて、光学(optica, 視学)は、ユークリッドやプトレマイオスらによって高度な幾何学的な理論となっていたが、主たる目的は視覚の説明であった。反射鏡で太陽光を一点に集める研究(焦鏡、ディオクレス(英語版)、トラレスのアンテミオス)もあったが、それらは別の学問とされた。虹、暈などの大気光学現象は、気象学で扱われ、数学的な学問の専門家による研究は残っていない。 また、視覚の原因に於いては、光は主要な原因とはされなかった。まず、ユークリッドやプトレマイオスらの光学家は、眼から放出される「視線」が対象に到達して成立するとした(外送理論(英語版))。ついで医学者ガレノスは、視覚論に眼や神経、脳の解剖学と生理学を始めて本格的に取り入れたが、彼の視覚論もまた、ある種の外送理論だった。このほか、プラトンやストア派の哲学者たちを含め、外送理論が圧倒的な多数派であった。 一方、アリストテレスは「色」が空気などの媒体を介して感覚器眼に流入することで成立するとし、視線の理論を批判した。例えば「星にまで瞬時に届く視線を考えねばならないのは不自然」といった議論は素朴ながら分かりやすい。また、古代において、初めてまとまった感覚の理論を展開し、プトレマイオスやガレノスにも影響を与えた。だが、視覚論についてはあまり賛同者はいなかった。なお、アリストテレスにおいては、「光」とは発光体の作用によって空気などの媒質が活性化された状況のことを指す。
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