古代の倉野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 01:55 UTC 版)
川内川南岸の丘陵には倉野城が構築され、古くは隼人の砦があったとされている。奈良時代の養老4年(720年)に隼人の反乱を鎮圧するために大伴旅人の軍が倉野の地に上陸した。上陸の地は倉野渡瀬と呼ばれ、その後同時には倉野渡と呼ばれる川内川の水運の要地となった。倉野と薩摩国の国府が置かれた川内との間にも水運交通があったとされる。 平安時代になり、倉野には倉院と呼ばれる入来院内の貢物が収納される倉が設置されていた。
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