原理に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:41 UTC 版)
グライスの考えは多くの社会的原理と同様に協調的な会話は文化的に決定されるため、文化的な違いからグライスの格率や協調の原理が必ずしも適用されるとは限らないと批判を受けることがある。著名な例としてはマダガスカルの人々は会話の協調性を得るために、全く逆の協調の原理に従っているとされている。彼らの文化圏では話者は情報を共有することに対して消極的であり、直接の質問を避けたり、不完全な答えを返したりすることがある。これは情報の真実性を約束することで面目を失うリスクがあることと、情報を持っていることが名声の一形態であることが理由であるとされている。ただ、この批判に対してそもそもマダガスカルの人々は情報の所有者の権力を高く評価するために、そこで行われる会話が協力的ではないとして、グライスの格率の前提条件である協力的な会話に当てはまっていないと反論する考えもある。 その他の批判としてはグライスの格率が道徳的で礼儀正しい話者になるためのガイドラインであると誤解させるような表現である点について問題視することもある。実際にはグライスの原理は協調的なコミュニケーションを成功させるための一般的に受け入れられている特徴を説明したものに過ぎない。 なお、ジェフリー・リーチはこれらグライスの原理とポライトネスの原理を使って語用論の発展に寄与した。また、専門家の間ではグライスの枠組みでは説明できないような非協力的な状況下でも会話の含意が生じることが指摘されている。 具体例として以下のようなものがある。AとBがフランスでの休暇を計画していて、Aが知り合いのジェラールと訪ねようと提案し、さらにBがジェラールの家を知っていて、AもBが知っていることを知っているとする。その時に、以下のような会話が行われるとする。 A:「ジェラールはどこに住んでいるの」 B:「南フランスのどこかだよ」 この会話からBはAに対してジェラールの住んでいる場所を正確には伝えたくないことがわかる。
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