原敬と「内地延長主義」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 04:28 UTC 版)
「内地延長主義」の記事における「原敬と「内地延長主義」」の解説
原敬は日清戦争後に外務次官としての資格で台湾事務局委員として台湾統治制度の立案に参画したとき以来、「台湾の制度はなるべく内地に近からしめ遂に内地と区別なきに至らしむことを要す」という持論をもっていた。原が首相に就任した時期は、国際的にはウィルソンの「民族自決主義」と国内的には「大正デモクラシー」が進展し、さらには朝鮮三・一独立運動がこれまでの軍部主導の「特別統治」=「憲兵政治」の破綻を明らかにした直後の時期にあり、その持論を進める好機であった。1918年(大正7年)8月、朝鮮三・一独立運動勃発後の朝鮮総督府・台湾総督府官制の改革により、総督の武官専任の制限が外された。これにより1919年(大正8年)10月29日、最初の文官総督となる田健治郎が台湾総督に就任した。
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