厚生ホーム開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:45 UTC 版)
「サンパウロ日伯援護協会」の記事における「厚生ホーム開設」の解説
1970年代初頭、日系で唯一の老人ホーム「憩の園」の収容能力だけでは日系高齢者を保護しきれない状況に達していた。そこで、援協は1971年4月に直営の老人ホーム「厚生ホーム」を開設。初代ホーム長には山下忠男が就任した。援協本部から徒歩5分のサンパウロ市ピラピチングイ通り130番に位置した厚生ホームは、老人だけでなく、病院から退院した患者のアフターケア、家出人、警察や病院からの保護依頼、浮浪者の臨時収容等、多方面で活用された。 開設当時の厚生ホームには寝たきり老人、手足の不自由な人、病弱者、精神病患者、老衰者等、様々な人が合計で48名ほど入居していた。厚生ホームでは規則正しい生活や作業訓練を通して、入居所の更生を目指した結果、11名の社会復帰に成功している。1974年3月20日、ジャミック移植民有限会社が所有していた移民の家が援協へ無償譲渡されることが正式に決定。同年6月29日、移民の家はサントス厚生ホームとして再発足し、サンパウロの厚生ホームの入居者31名と職員がサントス厚生ホームへと移った。その後、サンパウロの厚生ホームは賃貸契約が切れる翌75年2月まで臨時収容の施設として利用され続けた。1975年、サントス厚生ホームの活動はサントス市役所に認められ、土地・家屋・事業等の諸税が免除された。
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