即応性向上の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:39 UTC 版)
数が少なくても、相手の核ミサイルが着弾する前に発射してしまえば、破壊されることはない。冷戦期はGPSもなく慣性航法装置も誤差が大きく、潜水艦や移動式ミサイルは発射時に正確な現在自己位置が判らず着弾誤差が大きく、敵ICBMサイロ至近に精密に着弾させるのが困難であった(また戦略ミサイル搭載原子力潜水艦は高価だったし、当初は射程が短すぎた)。そのため固定式陸上発射ICBMの即応性を向上し、着弾前に発射することに大きな努力が払われた。しかし液体酸素を用いる液体燃料ロケットから非対称ジメチルヒドラジンや固体燃料式(ロケットエンジンの推進剤参照)への切り替えはともかく、着弾前に自動発射するシステムの整備は「事故による偶発発射かどうか」、「自国への発射かどうか」確認する時間の喪失をも意味していたので冷戦期は偶発核戦争の脅威が高まった時代でもあった。 また、核弾頭の小型化で1本の核ミサイルで3-18発の核弾頭を投射できるようになったため (MIRV)、冷戦期には核弾頭数が激増した。その結果、生残性は増したが、米ソともに数万の核弾頭を配備し、核戦争がおこった場合の惨禍も想像を絶するものになってしまった。
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