印パ戦争から核開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 04:19 UTC 版)
「インド・パキスタン分離独立」の記事における「印パ戦争から核開発へ」の解説
また多くの藩王国はインド側の副首相ヴァッラブバーイー・パテールの巧みな交渉もありインドに帰属したが、大藩王国のニザーム藩王国とジャンムー・カシミール藩王国はその態度を最後まで決めかねており、1948年9月インドはニザーム藩王国を強制併合したが、ジャンムー・カシミール藩王国においてはその帰属をめぐって第一次印パ戦争が発生し、その後の印パ戦争とへと続いていく。 そして、パキスタンは東西に分かれた領土を持つこととなり、国家として不安定な状況を生むこととなった。これは最終的にバングラデシュ独立戦争と第三次印パ戦争を経て東パキスタンがバングラデシュとして独立するまで続くこととなる。さらに、両国の対立はインドの核開発(1974年および1998年)と、それに対抗するパキスタンの核開発という形で、南アジア地域にとどまらない世界的な国際政治の不安定要因を生み出している。 また、両国の対立はインドが世俗主義であるのに対し、パキスタンがイスラム教を国教としているという、両国の国家理念の根本的な違いに起因するという見解もある。これは、インドではムガル帝国の3代皇帝アクバルが「民族融和の象徴」とされているのに対し、パキスタンでは6代皇帝アウラングゼーブがイスラームの教えを遵守した「英雄」とされている点からもうかがえる。
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