南新蔡郡とは? わかりやすく解説

新蔡郡

(南新蔡郡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 10:15 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

新蔡郡(しんさい-ぐん)は、中国にかつて存在した晋代から南北朝時代にかけて、現在の河南省駐馬店市一帯に設置された。

概要

晋の恵帝のとき、汝陰郡が分割されて新蔡郡が立てられた。新蔡郡は豫州に属し、郡治は新蔡県に置かれた。

南朝宋のとき、新蔡郡は鮦陽固始・新蔡・苞信の4県を管轄した[1]

南朝斉のとき、新蔡郡は北新蔡郡と改められた。北新蔡郡は鮦陽・新蔡・固始・苞信の4県を管轄した[2]

北魏のとき、新蔡郡の称にもどされた。新蔡郡は新蔡・鮦陽・固始の3県を管轄した。

東魏のとき、蔡州が立てられ、新蔡郡は蔡州に属した。新蔡郡は南趙・新蔡の2県を管轄した[3]

北斉のとき、蔡州が廃止され、新蔡郡は広寧郡と改称された。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、広寧郡は廃止されて、豫州に編入された[4]

南新蔡郡

本節では、現在の湖北省黄岡市一帯に設置された南新蔡郡について述べる。東晋の孝武帝のとき、新蔡県の出身者をの九江王英布の旧城に住まわせて、南新蔡郡を僑置した。南新蔡郡は南豫州に属した[5]。南朝宋のとき、南新蔡郡は苞信・慎・宋・陽唐左の4県を管轄した[1]464年大明8年)、南新蔡郡は江州に転属した。南朝斉のとき、南新蔡郡は慎・苞信・陽唐左・宋の4県を管轄した[2]589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、南新蔡郡は廃止され、江州に編入された。

脚注

  1. ^ a b 宋書』州郡志二
  2. ^ a b 南斉書』州郡志上
  3. ^ 魏書』地形志二中
  4. ^ 隋書』地理志中
  5. ^ 晋書』地理志上

南新蔡郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 10:15 UTC 版)

新蔡郡」の記事における「南新蔡郡」の解説

本節では、現在の湖北省黄岡市一帯設置された南新蔡郡について述べる。東晋孝武帝のとき、新蔡県出身者を漢の九江王英布の旧城に住まわせて、南新蔡郡を僑置した。南新蔡郡は南豫州属した南朝宋のとき、南新蔡郡は信・慎・宋・陽唐左の4県を管轄した。464年大明8年)、南新蔡郡は江州転属した。南朝斉のとき、南新蔡郡は慎・信・陽唐左・宋の4県を管轄した。589年開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、南新蔡郡は廃止され江州編入された。

※この「南新蔡郡」の解説は、「新蔡郡」の解説の一部です。
「南新蔡郡」を含む「新蔡郡」の記事については、「新蔡郡」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南新蔡郡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南新蔡郡」の関連用語

1
50% |||||

2
16% |||||

3
12% |||||

4
12% |||||

5
12% |||||

6
6% |||||

南新蔡郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南新蔡郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新蔡郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの新蔡郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS