南豫州とは? わかりやすく解説

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南豫州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/17 03:39 UTC 版)

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南豫州(なんよしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から初にかけて、現在の安徽省南部に設置された。

概要

422年永初3年)、南朝宋により淮東に南豫州が立てられた。州治は歴陽に置かれた。430年元嘉7年)、南豫州は豫州に併合された。439年(元嘉16年)、豫州から南豫州が分離された。445年(元嘉22年)、また南豫州は豫州に併合された。459年大明3年)、また豫州から南豫州が分離された。461年(大明5年)、揚州淮南郡宣城郡が分離されて、南豫州に併合された。466年泰始2年)にまた南豫州は豫州に併合され、淮南郡と宣城郡は揚州にもどされた。まもなくまた豫州から南豫州が分離された。467年(泰始3年)、南豫州は豫州に併合された。468年(泰始4年)、揚州の淮南郡と宣城郡が分離されて南豫州が立てられ、宣城に州治が置かれた。469年(泰始5年)、南豫州は廃止された。471年(泰始7年)、豫州の歴陽郡・淮陰郡・南譙郡と南兗州の臨江郡が分離されて南豫州が立てられた。472年泰豫元年)、南汝陰郡が豫州に転属し、豫州の廬江郡が南豫州に転属した。南豫州は歴陽郡・南譙郡・廬江郡・南汝陰郡・南梁郡・晋熙郡弋陽郡安豊郡汝南郡新蔡郡陳郡南頓郡潁川郡・西汝陰郡・汝陽郡・陳留郡・南陳左郡・辺城左郡・光城左郡の19郡を管轄した[1]

南朝斉のとき、南豫州は淮南郡・宣城郡・歴陽郡・南譙郡・廬江郡・臨江郡の6郡を管轄した[2]

526年普通7年)、南朝梁により合肥に南豫州が置かれた。547年太清元年)、合肥の南豫州は合州と改められ、寿春に南豫州が置かれた[3]

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、南豫州は宣州と改められた。607年大業3年)、宣州は宣城郡と改称された[4]

620年武徳3年)、が杜伏威を降伏させると、当塗県に南豫州が置かれた。625年(武徳8年)、南豫州は廃止され、宣州に編入された[5]

脚注

  1. ^ 宋書』州郡志二
  2. ^ 南斉書』州郡志上
  3. ^ 梁書』武帝紀下
  4. ^ 隋書』地理志下
  5. ^ 旧唐書』地理志三



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