当塗の淮南郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 04:24 UTC 版)
本節では、現在の安徽省当塗県に設置された淮南郡について述べる。東晋の成帝のとき、蘇峻・祖約の乱で江北の地が乱れると、江南に淮南郡が僑置された。462年(大明6年)、この淮南郡は宣城郡に併合されて、ひとたび廃止された。464年(大明8年)、再び淮南郡が設置され、南豫州に属した。467年(泰始3年)、揚州に属した。淮南郡は于湖・当塗・繁昌・襄垣・定陵・逡遒の6県を管轄した。南朝斉のとき、淮南郡は南豫州に属し、于湖・繁昌・当塗・逡遒・定陵・襄垣の6県を管轄した。589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、淮南郡は廃止された。
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