僑置陳郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 16:44 UTC 版)
六朝時代、陳郡の本貫の地が対立する王朝に奪われていたとき、本貫を離れた南方の土地に陳郡とその属県が置かれた。 330年(東晋の咸和5年)、合肥に陳郡が僑置された。 南朝宋のとき、陳郡は南豫州に属し、項・西華・陽夏・萇平・谷陽の5県を管轄した。 南朝斉のとき、陳郡は豫州に属し、南陳・萇平・項・西華・陽夏の5県を管轄した。 東魏のとき、陳郡は霍州に属し、開・陽夏・鮦陽の3県を管轄した。
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