千葉氏族の粟飯原氏とは? わかりやすく解説

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千葉氏族の粟飯原氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 04:53 UTC 版)

粟飯原氏」の記事における「千葉氏族の粟飯原氏」の解説

桓武平氏千葉氏族。平安時代末期平常長の四男・粟飯原常基が粟飯原称したのが始まりとされる。常基は、香取郡小見川郷(現在の千葉県香取市)を領して以降小見川粟飯原氏の館の所在地となっているが、この辺りには「粟飯原」の発祥思われる地名がなくその由来について不明である(前述横山党と関係があるのかも不明である)。 和田合戦当初には、この系統出身とされる千葉介被官粟飯原次郎なる者が、謀反回文持った阿念房を捕らえて謀反露顕端緒開いている。 鎌倉時代には六波羅奉行人務めていたようである。鎌倉時代後期当主粟飯原常光嗣子がいなかったため千葉氏から養子迎えた氏光(千葉胤宗次男で、貞胤の弟)が家督継承した。 氏光の子南北朝期当主清胤は、従兄弟にあたる千葉氏胤後見役務めと共に足利尊氏直義兄弟重用され室町幕府評定奉行人、更には政所執事引付奉行にも就任して活躍。弟は尊氏の四男・基氏に従って鎌倉下り、その偏諱受けて基胤と名乗っている。清胤の子尊氏嫡男義詮より偏諱を受け詮胤(あきたね)と名乗り、父同様に幕府重用された。この系統以降奉公衆として幕府臣従して繁栄した

※この「千葉氏族の粟飯原氏」の解説は、「粟飯原氏」の解説の一部です。
「千葉氏族の粟飯原氏」を含む「粟飯原氏」の記事については、「粟飯原氏」の概要を参照ください。

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