千葉氏流の椎名氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:26 UTC 版)
千葉常胤の弟、椎名胤光からはじまる氏族である。 この氏のことは千葉系図に「常兼─下総介常重─胤光(椎名五郎)」とあり、千葉上総系図、相馬系図などもこれに同じである。一本千葉系図には「胤光・椎名八郎、常重の名代となり、京都へのぼる。帰国の刻、駿州において病死なり」と。また一本に「常兼─常房(鴨根五郎)─胤光(椎名八郎)」とある。 この下総椎名氏は、『源平盛衰記』に椎名次郎胤平、椎名六郎胤平を載せ、また『吾妻鏡』巻25に椎名弥次郎、巻41、巻45に椎名六郎胤継の名前が見える。建長年間(1249年-1256年)には椎名八郎胤光が匝瑳南条荘を拠点に関東各地の教化を行った浄土宗第3祖の良忠を外護した。 匝瑳党にも椎名氏がいる。『鎌倉大草紙』に椎名与十郎胤家の名前が、また延徳元年(1489年)の上杉定正判書に椎名慶珍が出てくる。代々匝瑳郡飯倉城を根城としていたが、天正18年(1590年)にいたって落城した。米倉村西光寺は応永年間に椎名氏が創建した氏寺である。また横芝光町の広済寺も椎名氏開基と伝わる(鬼来迎)。 後世、下総国の椎名氏は剣酢漿草を家紋とした。
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