十進法化以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 15:14 UTC 版)
1879年、1⁄4, 1⁄2, 1ピアストル銅貨が導入された。ギリシャ系キプロス人の間では10パラと等価であったことから、ピアストル銅貨をギリシャ語の10を意味する「デカ」を使って、デカラ(δεκάρα)と呼ばれていた。また1⁄2ピアストル硬貨は20を意味するギリシャ語「イコシ」からイコサラ(εικοσάρα)と呼ばれた。これらの硬貨に続いて1901年に3, 4+1⁄2, 9, 18ピアストル銀貨が導入された。なお9ピアストルと18ピアストルはそれぞれ1シリングと2シリングと等価である。また3ピアストル銀貨が発行されたのは1901年だけで、1⁄4ピアストル銅貨も1926年で鋳造が停止された。1934年には白銅でできた扇形の1⁄2ピアストル、1ピアストル硬貨が導入されたが、1942年に青銅製に変更されている。1947年、1シリングと2シリング硬貨が銀製から白銅製に変えられた。ピアストル硬貨とシリング硬貨は1949年を最後に鋳造が停止された。
※この「十進法化以前」の解説は、「キプロス・ポンド」の解説の一部です。
「十進法化以前」を含む「キプロス・ポンド」の記事については、「キプロス・ポンド」の概要を参照ください。
十進法化以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 15:14 UTC 版)
1914年、政府は10シリング、1ポンド、5ポンドの緊急紙幣を発行した。通常の紙幣が発行されるようになったのは1917年以降のことであった。5シリング、10シリング紙幣と1ポンド、10ポンド紙幣が導入されたのは1917年のことで、1シリング、2シリング紙幣は1920年、5シリング紙幣は1926年から発行されるようになった。10シリング以下の額面の紙幣は1920年から一時的に発行が停止されたが1939年に再び発行されるようになり、また1943年から1944年の間には3ピアストル紙幣も発行されていた。その後1947年に1シリングと2シリングは硬貨で発行されるようになった。
※この「十進法化以前」の解説は、「キプロス・ポンド」の解説の一部です。
「十進法化以前」を含む「キプロス・ポンド」の記事については、「キプロス・ポンド」の概要を参照ください。
- 十進法化以前のページへのリンク