医術の哲学との争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 20:43 UTC 版)
「古代ギリシア医学 (ガレノス以前)」の記事における「医術の哲学との争い」の解説
ところで医学は哲学と相携えて発生しながら、すでに前5世紀にはこれと争い始めている。その顕著な例として『ヒポクラテス集典(英語版)』の中の「古い医術」という論文は、アグリゲントのエンペドクレスのような哲学的傾向を排除しようとしている。すなわち、熱・寒・乾・湿といった仮定から出発してこれらを病気の根本原因であるとなし、治療もまたこれに頼ろうとするところの哲学的傾向に対して反抗し、すべて経験から出発し経験によって検証すべきことを主張している。この論文の著者は用いられている方言からイオニア地方のギリシア人であったと考えられるが、宇宙論的見解からアプリオリに医療の諸規則を演繹しようとする西方の医学派に対しても争っている。先に医学の先駆として述べたピタゴラス派の学徒アルクマイオンの流れは、この頃すでにその科学としての質が低下していたと思われる。しかし何といっても一番医療にとって悪影響を与えたのはエンペドクレスの学派であったと考えられる。『ヒポクラテス集典』のなかにも医学を哲学的ドグマの制御のもとに置こうとする傾向のものがあり、ジョンズは「食餌について」、「養生について」、「呼吸について」をこれに数えている。
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