北部鉄鋼石炭会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/29 04:13 UTC 版)
「北部鉄道 (フランス)」の記事における「北部鉄鋼石炭会社」の解説
銀行家ジェームズ・ロチルドは以前から、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツおよび北欧を鉄道で連結しようと計画しており、ベルギー総合会社などへ資本参加しアルザス・ロレーヌ産鉄鋼とイギリス・ベルギー産石炭を軌道に乗せようとしていた。 北部鉄道はパリからリール、ヴァランシエンヌを通り、ダンケルク・カレー方面への分岐点を経てベルギー国境までを結ぶ鉄道の許可を1845年9月10日に国から受けた。北部鉄道は同年9月20日にジェームズ・ロスチルド、ジャン=アンリ・オタンゲル(Jean-Henri Hottinguer)、エドワード・ブラント(Edward Blount)らによって設立された。 初期の経営はロチルドとジュール(Jules Petiet)が主導した。 1846年にパリからドゥエとリールまでが繋がった。路線網は周辺地域(ピカルディ、フランドル、北東地域、リール~ベテューヌ、リール~ヴァランシエンヌ等)に存在した他社を吸収合併する事により、ヴァランシエンヌ、ガン、アミアン、ブローニュ方面へと素早く広まった。北部の鉄道網は、瞬く間に、フランスにおいて最も高頻度で活気ある路線の一つとなり、北部鉄道は最も優れた設備一式に関するエンジニアリング会社として認められるようになった。東部鉄道(Compagnie de l'Est)と同じように、ベルギーには北部会社ベルギー(Compagnie du Nord Belge)という名前の子会社が設立された。この会社は特にリエージュ~ナミュール間(現在のベルギー国鉄125号線)やナミュール~ディナン~ジヴェ間(現在の154号線)と言った路線を開通させた。 吸収合併した会社は下の二社以外にも多数存在した。 クレイユ・サン=カンタン鉄道(Compagnie du chemin de fer de Creil à Saint-Quentin) - 1846年4月24日、北部鉄道と同じの株主及びラフィット(Laffitte)により設立、1847年4月1日合併 アミアン・ブローニュ鉄道(Compagnie du chemin de fer d'Amiens à Boulogne) - 1845年5月29日、ブラント、ラフィットにより設立、1852年2月19日合併
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