北海道北海道ではほぼ全域で流行し、明治時代以降の北海道開拓に支障を来していた。例えば、1907年(明治40年)3月に着工された網走線鉄道工事の陸別・置戸間(当時、密林地帯で入植者はなかった)では、マラリア、皮膚病などに悩まされ、網走線請負人が共同で普通病院を設置しなければならなかった。また、深川村(現在の深川市)に駐屯していた屯田兵とその家族にマラリアの流行があり、1900年には1471名の屯田兵と家族が感染していた(当時の深川村の屯田兵と家族の総数:8207名。正確な年は不明だが、この頃の深川村の人口:14,073名)。1916年(大正5年)には、北海道全域のマラリア患者数は、2,003名であった(マラリアによる死亡者なし。当時の北海道の人口:1,408,362名)。北海道で流行したマラリアは、三日熱マラリアであり、その大多数は土着マラリアであると思われるが、撲滅された。ただし、今の北海道にも、かつて、日本で熱帯熱マラリアおよび三日熱マラリアを流行させたと推察されているオオツルハマダラカ(Anopheles lesteri)、あるいは、シナハマダラカ(Anopheles sinensis)などのハマダラカは生息している。本州
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「マラリア」の記事における「北海道北海道ではほぼ全域で流行し、明治時代以降の北海道開拓に支障を来していた。例えば、1907年(明治40年)3月に着工された網走線鉄道工事の陸別・置戸間(当時、密林地帯で入植者はなかった)では、マラリア、皮膚病などに悩まされ、網走線請負人が共同で普通病院を設置しなければならなかった。また、深川村(現在の深川市)に駐屯していた屯田兵とその家族にマラリアの流行があり、1900年には1471名の屯田兵と家族が感染していた(当時の深川村の屯田兵と家族の総数:8207名。正確な年は不明だが、この頃の深川村の人口:14,073名)。1916年(大正5年)には、北海道全域のマラリア患者数は、2,003名であった(マラリアによる死亡者なし。当時の北海道の人口:1,408,362名)。北海道で流行したマラリアは、三日熱マラリアであり、その大多数は土着マラリアであると思われるが、撲滅された。ただし、今の北海道にも、かつて、日本で熱帯熱マラリアおよび三日熱マラリアを流行させたと推察されているオオツルハマダラカ(Anopheles lesteri)、あるいは、シナハマダラカ(Anopheles sinensis)などのハマダラカは生息している。本州」の解説
琵琶湖周辺を中心として、福井県、石川県、愛知県、富山県でマラリア患者数が多く、福井県では大正時代は毎年9000 - 22000名以上のマラリア患者が発生しており、1930年代でも5000から9000名の患者が報告されていた。本州で流行したマラリアは三日熱マラリアであり、その大多数は土着マラリアであると思われる。
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「北海道北海道ではほぼ全域で流行し、明治時代以降の北海道開拓に支障を来していた。例えば、1907年(明治40年)3月に着工された網走線鉄道工事の陸別・置戸間(当時、密林地帯で入植者はなかった)では、マラリア、皮膚病などに悩まされ、網走線請負人が共同で普通病院を設置しなければならなかった。また、深川村(現在の深川市)に駐屯していた屯田兵とその家族にマラリアの流行があり、1900年には1471名の屯田兵と家族が感染していた(当時の深川村の屯田兵と家族の総数:8207名。正確な年は不明だが、この頃の深川村の人口:14,073名)。1916年(大正5年)には、北海道全域のマラリア患者数は、2,003名であった(マラリアによる死亡者なし。当時の北海道の人口:1,408,362名)。北海道で流行したマラリアは、三日熱マラリアであり、その大多数は土着マラリアであると思われるが、撲滅された。ただし、今の北海道にも、かつて、日本で熱帯熱マラリアおよび三日熱マラリアを流行させたと推察されているオオツルハマダラカ(Anopheles lesteri)、あるいは、シナハマダラカ(Anopheles sinensis)などのハマダラカは生息している。本州」を含む「マラリア」の記事については、「マラリア」の概要を参照ください。
- 北海道北海道ではほぼ全域で流行し、明治時代以降の北海道開拓に支障を来していた。例えば、1907年3月に着工された網走線鉄道工事の陸別置戸間では、マラリア、皮膚病などに悩まされ、網走線請負人が共同で普通病院を設置しなければならなかった。また、深川村に駐屯していた屯田兵とその家族にマラリアの流行があり、1900年には1471名の屯田兵と家族が感染していた。1916年には、北海道全域のマラリア患者数は、2,003名であった。北海道で流行したマラリアは、三日熱マラリアであり、その大多数は土着マラリアであると思われるが、撲滅された。ただし、今の北海道にも、かつて、日本で熱帯熱マラリアおよび三日熱マラリアを流行させたと推察されているオオツルハマダラカ、あるいは、シナハマダラカなどのハマダラカは生息している。本州のページへのリンク