北京と泉州の司教座
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「ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ」の記事における「北京と泉州の司教座」の解説
北京と泉州の司教座は以下の経過を辿った。司教達は書簡で再三同志の増派を願っているが、14世紀にあってはあまりにも遠い地域へ赴く修道士は少なくかつ交通も危険が伴い、モンゴル帝国構成各国の混乱により、元代におけるキリスト教布教は衰亡に向かった。カステルロのペレグリノは、その書簡にて「我々は協力者である修道士達を切実に欲しいと思う以外は何も必要としない。ジェラルド司教修道士は歿した。残った我々修道士達も、そう長くは生きられないし、又他に修道士達もやってこない。今に教会は洗礼もなく、住む人もいなくなるだろう」と記している。 北京1299年、モンテコルヴィーノが最初の教会を建設。1308年司教に叙階。1328年没。 1334年、後継司教ニコラウスが教皇ヨハネス22世により派遣されるが、1338年にアルマリク到着以降の消息不明。 泉州初代司教ジェラルド・アルブイニ(Gerardo Albuini)、1318年頃没。 二代目司教カステルロのペレグリノ(1322年没) 三代目司教ペルージャのアンドレウス(1326年没) 四代目司教フィレンツェのジャコモ(1328年没。中国へ向かう途中殺害され、司教区は消滅した)
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