北アフリカ諸国とイングランドの同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:52 UTC 版)
「プロテスタンティズムとイスラーム」の記事における「北アフリカ諸国とイングランドの同盟」の解説
1551年のトーマス・ウィンダムによる「ライオン号」の航海に次いで、1585年にイングランドの「バーバリー会社」が設立され、イングランドと北アフリカ諸国、特にモロッコとの交易が発展した。エリザベス1世と北アフリカ諸国の外交関係と同盟が結ばれた。イングランドはスペインに敵対するモロッコと交易関係を持つようになり、教皇の禁止令に反して、モロッコに武器、弾薬、木材、金属を売り、モロッコから砂糖を輸入した。このことは、スペイン駐留のローマ教皇大使が、エリザベスについて以下のように書かせることとなった。 この女性によって考えられない悪はない。彼女は、実に悲しむべきことに、武器、特に大砲でモロッコ(アブド・エル・マレク)を援助するのだ。 1600年、モロッコの支配者アフマド・マンスール・ザハビーの主要な秘書であるアブド・エル=オウアヘド・ベン・メッサオウドは、エリザベス1世の宮廷への大使としてイングランドを訪ねた。オウアヘドは、エリザベスの宮廷に6か月滞在し、スペインに対する同盟を交渉した。 モロッコの支配者はイングランド艦隊がスペインに侵攻するのを援助するつもりであったが、エリザベスはこれを断った。しかし、保障のために大使館を建てることを歓迎し、さらに商業協定を締結した。エリザベス女王は艦隊派遣のために10万ポンドを要求し、アフマドは金を送るための背の高い船を要求するなどしながら、2人はさまざまな共同軍事計画を議論した。エリザベス女王は軍需品をモロッコに送ることに同意し、彼女とアフマドはしばしば、スペインに対する共同作戦を話し合った。 しかし、議論は決定することなく推移し、大使館設立後から2年のうちに両方の統治者は逝去した。
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