勝山城 (長門国)
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勝山城(かつやまじょう)は、山口県下関市の勝山にあった日本の城(山城)。且山城とも表記される。幕末、長府藩が勝山山麓に築いた長府藩主居館は勝山御殿と呼ばれ、御殿と称しているが事実上の城郭として扱われる[1]。2019年(平成31年)2月26日付で国の史跡「勝山御殿跡」となった[2][3]。
- ^ a b c 史跡等の指定等について(平成30年11月16日)(「新指定・新登録・新選定」答申物件 (PDF) ・史跡等の指定等 (PDF) ) - 文化庁
- ^ a b 「勝山御殿跡」(文化遺産データベース)文化庁公式HP
- ^ a b 「官報」平成31年(2019年)2月26日号外
- ^ [1]
- ^ 勝山城跡の説明板「勝山の歴史」(平成15年3月・勝山三山を守る会)より。
- ^ a b c d 小都 1986, p. 220.
- ^ 武家諸法度の築城禁止規定により勝山御殿と称したものの、実態は総石垣造りの本格的な城であった。
- ^ 城門から侵入しようとする敵兵の側面を攻撃(迎撃)ができるよう、城郭から枡形の張り出しが造られている。横矢掛りとも呼ばれる。
- ^ 【今こそ知りたい幕末明治】(38)近世城郭の“最終形”勝山御殿 - 産経ニュース(産経新聞)2017年11月10日
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