労働者階層の分化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:46 UTC 版)
日本では、明治時代の殖産興業によって工業化が始まり、1910年代になると工業化がより急速に進んだが、この1910年代から次第に「ホワイトカラー(大学院や4年制以上の大学、短期大学、高等専門学校(専修学校専門課程は除く)を中心とした高等教育卒業者)」と「ブルーカラー(専修学校専門課程卒業者、中等教育卒業者、小学校卒業者)」の区分が明確に意識されるようになり始めた。 この傾向は、第二次大戦後の高度経済成長期以降に加速し、(高校への進学率も低い時代は)中学校を卒業したらすぐに(集団就職などで地方から大都市へ)就職するのが当たり前、とする風潮がまかり通っていたため、雇用者側から「金の卵」と呼ばれて工員になる者が多数いたが、製造業界では合理化の一環としてオートメーション化を推進させ、工員でも高卒以上の学力や技術が要求されるようになった。また、高度経済成長により高校への進学率も上昇し始めたため、それまで担っていた単純労働者の需要が下降すると共に、中学生の就職率が次第に激減し、工員ですらほとんど採用されないほどになった。
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