加須設楽家
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設楽貞通の嫡男である貞清(さだきよ)を祖とする。 貞清は、徳川家康の家臣として、天正10年(1582年)天正壬午の乱に従い、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで戦功を挙げ、天正18年(1590年)小田原征伐の陣に供奉している。徳川家康の関東移封に従い、武蔵国埼玉郡(現・加須市)に采地を賜う。妻は大久保忠世の娘。 娘は森川重俊の妻。開基した永喜山香積寺(加須市馬内684)には、一族の墓石(宝篋印塔6基、笠塔婆6基)がある。また、真言宗智山派寺院の金蓮院(加須市礼羽397-1)を開基した。 貞清の子である貞代は、徳川秀忠に仕え、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、酒井家次の隊に列した。元和元年(1615年)の大坂夏の陣では、伏見城の城番を勤めた。寛永9年(1632年)甲斐国郡内の城代、同11年(1634年)上総国佐貫城の城番、同13年(1636年)甲府城の城番となる。武蔵国埼玉郡(現・加須市)の1500石に新墾田650石を加え、2150石。妻は石川家成の娘。また、徳川家光の七夜の祝儀に参上した(『徳川実紀』)。 一族は、旗本として、鎗奉行(貞辰)、書院番(貞成、貞好(一橋家家老)、貞則、貞廣、貞正)、御小姓組番士(貞英、貞周、貞時、貞利)を勤めた。 貞成は曹洞宗三宮寺(加須市馬内500-1)を開基した。
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