加古川市制前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 16:02 UTC 版)
古代は一地方豪族の領地であったと思われ、今も市内の各所に古墳・廃寺等の歴史遺物が残る。 5世紀初頭 西条古墳群(行者塚古墳・人塚古墳・尼塚古墳など)が、築造される。 589年 - 聖徳太子により刀田山四天王寺聖霊院(鶴林寺)が創建されて、門前町ができる。 718年 - 鶴林寺の七堂伽藍が、整う。 749年 - 孝謙天皇の勅願所として宗佐厄神八幡神社が、創建される。 1184年 - 糟屋有数が加古川城を築城する。 1300年代から1310年代 - 文観房殊音(弘真)が開拓事業や加古川五ヶ井堰の修築事業を指揮する(金子哲説)。 1577年 - 羽柴秀吉が加古川城を三木城攻め(「三木合戦」)の基地にする。 1593年 - 糟屋武則が加古川城城主になる。 1600年 - 糟屋武則が関ヶ原の戦いで西軍に味方した為に取り潰されて、加古川城も廃城となる。 江戸時代 - 加古川宿が置かれて、西国街道の宿場町として発展する。 1885年 - 多木化学が操業を開始する。 1899年 - 日本毛織が操業を開始する。 1933年 - 多木浜洋館が竣工される。
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