劇団「新演」設立
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1959年3月、劇団「新演」として再出発。寺島幹夫、仲村秀生、速水一郎、吉沢京夫ら29人が参加した。内田良平や杉浦直樹は松竹の映画俳優になっており、小松方正は、フリーとして活躍したため、参加しなかった。 1960年10月9日公開の松竹映画「日本の夜と霧」(大島渚監督)に、寺島幹夫、速水一郎、吉沢京夫が出演した。松竹は公開から数日後に映画を上映中止。これを受けて、同映画を速水一郎が劇化し、吉沢京夫演出により、1961年6月15日から6月27日、新宿厚生年金会館ホールで上演した。 1960年11月5日にクランクインした松川事件の映画「松川事件」に、寺島幹夫が参加。 「楠三吉の青春」(大橋喜一作、吉沢京夫演出)を1961年4月25日から4月30日、俳優座劇場で上演。 敗戦直後、代々木練兵場で天皇に敗戦を詫びて大東塾の14名が割腹自殺を行った事件の劇化作品「草むす屍」(石崎一正作、左近允洋演出)を劇団新演第7回公演として、1962年8月15日から8月20日まで、新宿厚生年金会館ホールで上演。 1963年に劇団活動停止。
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