前期ウィルバンクス相(紀元1250年頃 - 1325頃)
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「エトワー」の記事における「前期ウィルバンクス相(紀元1250年頃 - 1325頃)」の解説
マウンドA及びBがさらに拡張されて、機能する。マウンドCの造営開始。首長制国家の形成 1200年頃、三つの首長制国家は、何らかの原因で人口の流出が起こって崩壊し、再び政治的中心が出現するのは、1250年頃のエトワーの復活からである。エトワーの建築活動が再開されたこの時期を前期ウィルバンクス相(Early Wilbanks Phase)といい、1250年頃から1325年頃までがこの時期に当たる。マウンドBがより大きく拡張され、マウンドAはより巨大なものになっていった。もうひとつ特記すべきことは、マウンドCの造営が始まったことである。マウンドCは前述したようにエトワーのエリート層の埋葬施設として使用され、その豪華な副葬品で知られている。前期ウィルバンクス相ではエトワーの復活とともにその周辺でもマウンドの造営活動が活発化している。二次センターともいうべき単一のマウンドを伴う集落がエトワー川の対岸の南方や東方などに建設され、北西方向にも出現した。これは、エトワーを中心とする複雑な首長制国家が形成され、エトワー川流域を支配する核が明確になってきたことを示す。
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