初期生活と教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 12:09 UTC 版)
「デイビッド・スミス (彫刻家)」の記事における「初期生活と教育」の解説
ローランド・デイヴィッド・スミスは1906年3月9日にインディアナ州・ディケーターに生まれた。その後、1921年にオハイオ州・ポールディングへ移住し高校に進学する。1924年 - 1925年にアセンズにあるオハイオ大学に1年間通い、その後、ノートルダム大学へ2週間だけ通ったが、芸術コースがなかったため長くは続かなかった。 その間には、スミスは夏期労働として自動車工場の組立ラインで仕事を行う。 その後、短期間、美術と詩についてワシントンD.C.にあるジョージ・ワシントン大学で学んだ。 1926年、ニューヨークへ移住しドロシー・デナー(1927年 - 1952年まで夫婦となる)と出会い、彼女のアドバイスで、彼女が絵を学んでいるニューヨーク・アートスチューデント・リーグに参加する。その先生にアメリカの画家ジョン・スローンやハンス・ホフマンと一緒に学んだチェコのモダニズムの画家ジャン・マツルカがいた。マツルカはピカソ、モンドリア、カンディンスキーやロシア構成主義の作家たちの仕事をスミスに紹介した。1929年にスミスは John D.Grahamと出会う。彼はのちにスミスを、ピカソやフリオ・ゴンサレスといった溶接鋼彫刻へ導くことになる。
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