初期の計画と建造計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 06:43 UTC 版)
「モンゴメリー・メグズ」の記事における「初期の計画と建造計画」の解説
メグズはジョージア州オーガスタで、チャールズ・デラシナ・メグズ博士の息子、かつ研究者のジョサイア・メグズの孫として生まれた。少年のときに、家族と共にペンシルベニア州に移転し、当初はペンシルベニア大学に入学したが、陸軍士官学校入学を指名され、1836年に卒業した。第1アメリカ砲兵隊の少尉に任官されたが、その軍歴の大半は工兵司令部であり、そこで重要な建造計画に携わった。 初期の任務としては、デラウェア川のミフリン砦やデトロイト川のウェイン砦の建設に貢献した。また当時中尉のロバート・E・リーの指揮下でミシシッピ川の航行性改善を行った。また1844年からニューヨーク州北部のシャンプレーン湖でモンゴメリー砦建設に関わった。 戦前のメグズのお気に入り建造計画はワシントン上水道であり、これを1852年から1860年まで監督した。これにはキャビンジョン・クリークに架かる記念碑的ユニオンアーチ橋の設計も含まれていた。この橋は50年間も世界で最長の石造りアーチ橋であり続けた。1853年から1859年、アメリカ合衆国議会議事堂の両翼とドームの建設を監督し、1855年から1859年は総合郵便局ビルの拡張も監督した。 1860年秋、購買契約に関する意見不一致の結果として、メグズは陸軍長官ジョン・ブキャナン・フロイドの「不興を蒙り」、「メキシコ湾のドライ・トートガス諸島に左遷され、そことキーウェストの防御工作を行うことになった。」数ヵ月後にフロイドが辞任したので、メグズはワシントンの上水道の仕事に呼び戻された。
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