初当選とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:40 UTC 版)
同年8月30日、投票の結果、民主党は比例東海ブロックにおいて11議席分の得票を獲得、重複立候補した候補者のうち29人が小選挙区選出となったため、比例名簿順位40位までが当選となり41位の磯谷は次点となった。しかし、みんなの党が比例代表の得票を1議席獲得したにも関わらず、同党唯一の比例代表候補であった佐藤剛が重複立候補した小選挙区において得票率8.3%にとどまったため比例復活当選とはならず、この議席が民主党に充当された結果、名簿順位で次点となっていた磯谷が当選確定となった。 当選が決まると「負け組側の一人として現状を変えたい」と意欲を見せ、みんなの党の候補者不足による「棚ぼた当選」であることは認めつつも、「いろいろな事情を抱えた人々の話を丁寧に聞きたい」「人々が効果を実感できる政策を一つ一つ実行していきたい」等と抱負を語っている。当選後は谷岡の個人指導を受け登院に備え、第172回国会(特別国会)の初登院時には「天気と同様、晴れやかな気分。アルバイトやパートを転々としただけに、非正規雇用の問題に取り組みたい。私のように看病や介護で安定した生活を送れない人の力になりたい」と述べた。また当選時には約20年前の大学卒業の折に作ったというスーツしか持っていなかったため、「デザインが古くて」着られないと判断し、国会初登院に備えてスーツを新調。「(普段と)1ケタ違うから」と財布の中身を気にしながらベージュとグレーのスーツ上下2着を購入、「予算内に収まった」と語る。愛車は15年以上使用しているMiniで、信号で止まると時々エンジンも停止する。 しかし、2010年の資産公開において、約1576坪の土地や時価2200万円相当の株式などを保有していることが明らかになり、前述のような人物像との乖離から話題を呼んだ。2011年8月、菅直人の首相退陣に伴う民主党新代表を選ぶために行われた民主党代表選挙に際しては、候補者の一人である馬淵澄夫の推薦人の一人に名を連ねた。 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、愛知14区から民主党公認で出馬するも落選。その後、引退宣言。
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