分国法一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 08:05 UTC 版)
分国法制定者成立時期条数備考大内家壁書 大内持世~大内義隆 永享11年(1439年) - 享禄2年(1529年) 11ヶ条 『大内氏掟書』『大内家法』とも。 相良氏法度 相良為続、相良長毎、相良晴広 明応2年(1493年)- 天文24年(1555年) 41ヶ条 為続が明応2年に7ヶ条を定めた後、追加法が断続的に発布され、最終的に41ヶ条となった。 今川仮名目録 今川氏親、今川義元 氏親が大永6年(1526年)に制定。義元が天文23年(1553年)に追加法を発布。 氏親は33ヶ条制定。義元は21ヶ条を追加。 塵芥集 伊達稙宗 天文5年(1536年) 171ヶ条 甲州法度次第 武田信玄 信玄が天文16年(1547年)に制定した後、さらに追加法が発布された。 26(55)ヶ条 今川仮名目録の影響を受けている。 結城氏新法度 結城政勝 弘治2年(1556年) 104ヶ条 新加制式 三好長治 永禄元年(1558年)- 元亀元年(1570年) 22ヶ条 長治が篠原長房に命じて編纂をおこなわせた。 六角氏式目 六角義賢・義治 永禄10年(1567年) 本文67ヶ条、起請8ヶ条、追加6ヶ条 六角氏父子と有力家臣が相互に誓約し合う形態ととっている。 長宗我部元親百箇条 長宗我部元親・盛親 慶長2年(1597年) 100ヶ条
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