分割合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 06:05 UTC 版)
1950年代、日本各地の市町村にて合併が盛んに行われていた(昭和の大合併)。印南郡でも例外ではなく、各町村での合併の動きが見られた。米田町は、加古郡加古川町とは加古川を挟んで隣同士であること、両町とも日本毛織の工場があることから結びつきが強く、加古川市制定に参加する動きがあった。一方、加古郡高砂町、荒井村、印南郡伊保村、曽根町と共に高砂市制定に参加する動きもあった。1953年(昭和28年)12月27日、町協議会は、高砂町、荒井村、曽根町、伊保村との合併への動きに同調することに決定した。これに対し、加古川市 は、1954年(昭和29年)1月9日、合併特別委員会を設立し、合併推進へ向けての体制固めを行うとともに11日、東神吉村および西神吉村および米田町に対する合併の正式な申込を行った。米田町は、14日、高砂町、荒井村、曽根町、伊保村との同調を既定の方針として臨時町会を開催し、合併協議会規約案の正式な議決を計った。これに対し、米田町船頭地区および東神吉村および西神吉村と加古川市の首脳部、これらの地域に関係する県議会議員は、兵庫県当局ならびに議会に陳情書を提出し、船頭地区の分町を申し入れた。1956年9月18日に兵庫県合併審議会の裁定の結果、米田町の船頭・平津地区は、加古川市へ、米田・米田新・古新・塩市・島・神爪地区は、高砂市 に合併する事となった。こうして同年9月30日、米田町は、加古川市、高砂市に分割合併し、米田町の歴史に幕を下ろした。
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