出自と斎藤家の父子相克
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 04:07 UTC 版)
長井道利は、稲葉山城主斎藤道三の若いころの子で、義龍が生まれてから道三の庶子または弟としたという説がある。他に道三の弟の諸説がある。また、長井利隆の孫、長井長弘の子などの説もあり、長井家の名跡を継いだためと考えられる。 初め道三に仕えたが、次第に道三とその嫡男義龍が不仲になると、弘治元年(1555年)11月、義龍に接近して、道三の寵愛する義龍の異母弟孫四郎、喜平次らの暗殺を提言し、義龍と共に2人を謀殺した。直後の12月に義龍の知行充行の使者となっている(備藩国臣古証文)。弘治2年(1556年)4月の長良川の戦いでは子の道勝と共に義龍側に付き、道三を討ち果たし、義龍が可児郡の明智氏を滅ぼすと、明智庄の代官となった(永禄8年4月13日付顔戸八幡神社棟札)。
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