出生と陸軍入隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:30 UTC 版)
文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれた。 南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代の非常にわんぱくで、「狐の尻尾を折る」「狼退治」「千石船を素潜りで潜ろうとして死にかける」「150人と血闘」などを行ったと列挙している。 8歳(数え年だと9歳)の頃に、平田篤胤の高弟ともいわれる医師で蘭学者(漢学者とも)の佐々木節斎の寺子屋に入る。佐々木は読み書きソロバンや四書五経を教え、その他にもコロンブスやマゼランの地理探検、そしてジョン・フランクリン隊の遭難(フランクリン遠征)などの話を聞かせた。白瀬は11歳の頃に佐々木より北極の話を聞き、探検家を志すようになる。 このとき佐々木は、白瀬に対し5つの戒めを教えた。 酒を飲まない 煙草を吸わない 茶を飲まない 湯を飲まない 寒中でも火にあたらない 白瀬は18歳頃から守るようになり、生涯この戒めを守り続けたとされる。 明治10年(1877年)、母の実家である山形県山形市七日町にある小学校に入学し、明治12年(1879年)3月に卒業する。同年7月に僧侶となるため上京するが、2か月後(明治12年9月)に軍人を目指し日比谷の陸軍教導団騎兵科に入校。同時に幼名の知教という名を矗に改名した。
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