出港
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出港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
テラノバは1910年6月15日、ウェールズのカーディフを出港した。スコットは遠征に関わる業務で拘束されており、その後で高速の旅客船で追いかけ、南アフリカで合流した。オーストラリアのメルボルンでは、船を離れて資金集めを継続し、テラノバはニュージーランドに向かった。メルボルンでスコットを待っている間に、アムンセンから電報が入り、ノルウェーも「南に進んでいる」ことを伝えてきた。その電報で、スコットは初めて競争になっていることを知らされた。スコットは新聞から反応を求められ、その計画を変えるつもりがないことと、極点への競争に勝つために科学的目標を犠牲にするつもりはないことを返信した。スコットはその日記に、アムンセンは成功する可能性が高いことと、おそらく成功すればその運に値するであろうことを記していた。 スコットはニュージーランドで再度テラノバに合流し、そこで34匹の犬、19頭のシベリア・ポニー、3台のモーター駆動橇を含め、物資を積み込んだ。大量の物資を積み込んだテラノバは1910年11月29日にポートチャルマーズを離れた。12月初旬、船は激しい嵐に襲われた。ある時点では荒海に入ってポンプが故障し、乗組員達はバケツで水を汲みだす必要があった。この嵐のためにポニー2頭、犬1匹、10トン(ロングトン、10,200 kg)の石炭、65英ガロン (300 L) の石油が失われた。12月10日、テラノバは南からの叢氷に会って停止し、20日間を使った後に氷を割って南に進んだ。この遅れをスコットは「全くの不運」としたが、それにより61トンの石炭を消費した。
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