凍結そして事業廃止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:22 UTC 版)
「千葉県営鉄道北千葉線」の記事における「凍結そして事業廃止へ」の解説
しかし、バブル崩壊による県や市の財政悪化、千葉都市モノレールや東葉高速線などの経営状態(「千葉都市モノレール稲毛駅・稲毛海岸駅への延伸構想#概要」「東葉高速鉄道#概要も参照)、さらには高運賃が原因の北総線赤字と千葉ニュータウン入居者の伸び悩み問題から、県としても北千葉線問題どころではなくなる。 その後2000年(平成12年)8月に、自民・公明・保守三与党による「公共事業の抜本的見直しに関する合意」が出され、鉄道事業で唯一、北千葉線が取り上げられ、中止勧告が下された。川島令三は『全国未完成鉄道路線』の中で、時の内閣総理大臣森喜朗と運輸大臣森田一、さらには前運輸大臣の二階俊博が、北総線印旛日本医大駅から成田空港までの成田新高速鉄道を実現する見返りとして北千葉線建設を断念するよう、知事の沼田武を説得したと述べた(「京成成田空港線#沿革」「成田高速鉄道アクセス#経緯」も参照)。これを受けて県は鉄道事業の廃止を運輸大臣に届出、鉄道建設は白紙に戻され、11月に運輸省は北千葉線の中止を正式に決定した。 一方で、10月の県議会では、「東京10号線延伸新線」の名称で第三セクターによって将来事業化する方向で調査検討をする旨が表明されていた。 だが、沿線人口の増加が期待できないこと、約1400億円の事業費と採算性の問題、累積赤字を抱えている北総鉄道の減収にもつながるおそれから「東京10号線延伸新線促進検討委員会」が2013年(平成25年)9月3日で解散したため、計画そのものが消滅した。
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