兵務局長・陸軍統帥部長官
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「クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト」の記事における「兵務局長・陸軍統帥部長官」の解説
その後各地部隊の参謀を経て、中将当時の1929年10月に兵務局長に任命された。兵務局長として、敵国の侵攻に対しては遅滞防衛で凌いで国際連盟の介入を待つという、ドイツの防衛戦略を策定した。また1930年には1923年以来の総動員計画を改訂し、平時7個師団を戦時には21個師団に増員するとした。1930年、ヴィルヘルム・ハイエ上級大将が陸軍統帥部長官(陸軍総司令官)を辞任すると、かつての親友シュライヒャー国防次官、ヴィルヘルム・グレーナー国防相、ハインリヒ・ブリューニング首相の支持を得てその後任に就任した。同年には歩兵大将に昇進。陸軍総司令官として、戦時の42個師団増員、徴兵制の導入などを計画した。 1933年1月、アドルフ・ヒトラーのナチス党が政権を獲得する。ハンマーシュタイン=エクヴォルトはナチスに対して軍の中立を保つよう努めた。早くも2月にヒトラーはハンマーシュタイン=エクヴォルトら軍の最高指導者を訪ねて自分の戦争計画を説明したが、彼らの反応は乏しく、ヒトラーの回顧によれば「壁に向かって話しているようだった」という。しかし新国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク将軍がナチス寄りの姿勢で軍部のナチス支配への取り込みを進めたため、ハンマーシュタイン=エクヴォルトのようなナチスに親和的ではない軍人たちの立場は徐々に厳しいものとなった。1933年12月に彼は辞表を提出し、同時に上級大将を最後に軍を退役した。後任にはヴェルナー・フォン・フリッチュ中将が就任した。
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