兪万兼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 兪万兼の意味・解説 

兪万兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/01 09:00 UTC 版)

兪万兼
各種表記
ハングル 유만겸
漢字 兪萬兼
発音: ユ・マンギョム
テンプレートを表示

兪 万兼(ゆ まんけん、ユ・マンギョム、朝鮮語: 유만겸1889年高宗26年 / 明治22年)7月13日 - 1944年昭和19年)12月13日[1])は、大正から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。位階正四位[2]勲位勲三等[2]

経歴

1889年兪吉濬の長男として漢城府で生まれた[1]。培才学堂、興化学校を卒業し[1]日本に留学。1913年大正2年)に岡山県旧制第六高等学校を卒業し[1]東京帝国大学法学部経済科に入学[1]1917年(大正6年)に卒業[1]。大学院に進んだが[1]1918年(大正7年)に朝鮮に帰り[1]朝鮮総督府に奉職する[1]1920年(大正9年)に聞慶郡守に昇進し[1][3]1921年(大正10年)に慶尚北道庶務課長[1][3]1922年(大正11年)に同道社会課長などを歴任した[1][3]1924年(大正13年)に朝鮮総督府学務局宗教課長[1][3]1928年昭和3年)に平安北道参与官を経て[1][3]1930年(昭和5年)に慶尚北道参与官兼産業部長に任命された[1][3]1932年(昭和7年)に総督府学務局社会課長に転じ[1][3]1934年(昭和9年)に平安南道参与官を経て[1][3]1936年(昭和11年)に忠清南道参与官兼産業部長に任命された[1][3]1939年(昭和14年)に忠清北道知事に任命され[1][3]、国民精神総動員朝鮮連盟参与などを兼任[1]1940年(昭和15年)9月に退官し[2]朝鮮総督府中枢院参議に任命された[2]国民総力朝鮮連盟評議員などを兼任[2]1944年(昭和19年)12月13日に死去[1]

2004年韓国で成立した日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法によって、親日反民族行為者に認定された[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 유만겸(兪萬兼) 韓国民族文化大百科事典
  2. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1942, 朝鮮111頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j 유만겸 ( 兪萬兼 ) 国史編纂委員会

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  兪万兼のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「兪万兼」の関連用語

兪万兼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



兪万兼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの兪万兼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS