党、軍指導者の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:59 UTC 版)
「ドイツの歴史認識」の記事における「党、軍指導者の処遇」の解説
ナチスの政治的指導者は、あまりユダヤ人虐殺に直接関わりのなかった人物も、アルベルト・シュペーアを除きほとんどがニュルンベルク裁判で極刑または終身刑に処されている。しかし、軍事的指導者の処遇の線引きは非常に曖昧であり、国防軍の首脳であるにもかかわらずまったく実権のなかったヴィルヘルム・カイテルが絞首刑となり、指揮下の部隊が捕虜虐殺事件を起こしたとされるヴィルヘルム・モーンケが10年ほどで釈放されるという事態が起きている。 また、これまで日本では、日本と同様にBRDでもナチス時代の反省から「ほとんどの軍人の評判が悪い、または否定的」とされてきた。しかし実際にはエルヴィン・ロンメル、マンシュタイン、カール・デーニッツなどがBRDでもナチ時代から引き続き英雄視されている。またマンシュタインやデーニッツは戦犯として有罪になっているが、BRDでは一般的にそれらは考慮されていない。DDR国家人民軍においても多くの旧国防軍出身者が将校に任用された。 ハインツ・グデーリアンも刑期満了後、アメリカで軍事学を教えており、マンシュタインに至っては服役中すでに国防軍人会の名誉会員に叙され、出所後はBRD国家防衛委員会の顧問として軍の再建に尽力している。さらにA級戦犯として有罪となった海軍総司令官エーリヒ・レーダーの葬儀はBRD海軍の主催で執り行われ、その弔辞は後任の海軍総司令官であり、また同様にA級戦犯であったデーニッツが読み上げた。加えて、犯罪組織と規定された親衛隊上級大将のヨーゼフ・ディートリヒの葬式すら国防軍式に盛大に行なわれるなど、その大半は国防軍であるが、多くのナチス時代の軍人が高く評価されているのが実情である。 ニュルンベルク裁判ではまとまった裁定が下されたという声もある。しかし、当時国防軍の象徴的存在であったルントシュテットは、ユダヤ人などの無差別殺害に同意し、イギリス軍捕虜を戦時国際法に反してゲシュタポに引き渡したことで有罪は免れないとされていたが、心臓発作で釈放となっている。この釈放には、ドイツ国民の感情を損ない将来禍根を残しかねないというアメリカの政治的思惑が働いており、純粋に軍人として職務に勤めていたアルフレート・ヨードルも、アルベルト・シュペーアの極刑回避のため、取引されて処刑されている。
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