免疫学から反応拡散波の研究へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:23 UTC 版)
「近藤滋」の記事における「免疫学から反応拡散波の研究へ」の解説
1988年4月から1990年9月まで日本学術振興会特別研究員として、東京大学医学部第一生化学教室に所属。1990年10月からは日本学術振興会海外特別研究員やスイスナショナル基金研究員として、スイスのバーゼル大学バイオセンターにおいて細胞生物学に取り組む。 スイスではヴァルター・ゲーリングに師事。ゲーリングの助言でチューリング理論に詳しいドイツのハンス・マインハルトと出会う。さらに1991年に『ネイチャー』に実際の化学反応として反応拡散波が起こることを示した記事が掲載され、近藤はそれが生物でも起こることを実証しようと決意する。 1993年4月から京都大学遺伝子実験施設の助手に着任。1995年8月からは本庶佑率いる同大学医学部医化学1講座の講師に就任。大学で免疫学の研究をしながら、自宅に水槽を設置してタテジマキンチャクダイを飼育。観察を続けた結果、反応拡散方程式のシミュレーション通りにタテジマキンチャクダイの模様が変化することを確認する。生物の模様にチューリング・パターンがあることを証明した論文は1995年の『ネイチャー』に掲載され、タテジマキンチャクダイの写真がその号の表紙を飾った。
※この「免疫学から反応拡散波の研究へ」の解説は、「近藤滋」の解説の一部です。
「免疫学から反応拡散波の研究へ」を含む「近藤滋」の記事については、「近藤滋」の概要を参照ください。
- 免疫学から反応拡散波の研究へのページへのリンク