余波、非武装化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 17:29 UTC 版)
7月29日、アゾフ連隊とドンバス大隊は防御陣地を離れ、正規軍であるウクライナ海兵隊と交代した。マリウポリ住民はシロキネからドンバス大隊を引き抜くと言う決定に抗議した。住民はその撤退によって、分離主義勢力が砲撃を再開し、シロキネを奪回しに来ることを恐れた。 8月上旬、ウクライナ、ロシア、欧州安全保障協力機構の代表者はシロキネの非武装化のための青写真の作成に取りかかった。伝えられたところによると、これはマリウポリ住民と義勇兵の反対にあったようだ。しかし、ウクライナ大統領はシロキネの外側の高台にウクライナ軍部隊を残すと発表した。 8月中旬、マリウポリ北のスタロニャッカで小さな衝突があり、ウクライナ海兵隊兵士2名が死亡した。 8月末、シロキネの非武装化のための交渉が続く中、ウクライナ軍参謀総長は「シロキネに軍事的価値はない」と語った。これは何人かのウクライナの活動家と義勇兵を激怒させた。 9月中旬、シロキネは非武装地区となったが、同地には大量の爆発物が遺棄されていたたため、ウクライナ軍は住民の帰還を禁止した。現在でもウクライナ軍と分離主義勢力の陣地は300メートルしか離れていない。 2016年2月25日、ウクライナ軍は、分離主義者がシロキネ周辺の全陣地を放棄していると発表した。また撤退した分離主義勢力は広範囲に地雷とブービートラップを設置しており、2016年3月現在、ウクライナ軍の爆発物処理班がそれらを処理していると発表した。これに先立ち、欧州安全保障協力機構は、シロキネに民間人が住むことは不可能であるとの声明を出した。
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