佐藤大輔について
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佐藤大輔は、1975年8月19日、福島県福島市生まれ。実家は美容院で、両親と弟の4人家族。 小学校高学年の頃から長距離走の才能の片鱗を見せ始める。1993年、福島県立福島東高等学校在学時、栃木県宇都宮市で行われたインターハイの1500メートル走で7位に入賞。 高校卒業後、拓殖大学に入学。大学3年のとき青東駅伝に福島県代表として参加、みごと区間賞をとる。箱根駅伝には第73回大会、第74回大会と2度出場。第73回大会では3区(神奈川・戸塚→神奈川・平塚、21.3km)を走り、区間10位(区間タイムは1時間10分46秒)。第74回大会では復路のエース区間である9区(神奈川・戸塚→神奈川・鶴見、23.0km)を走り、区間10位(区間タイムは1時間13分16秒)、シード権獲得に貢献する。 大学卒業後、NECに入社。1998年7月、重度の急性再生不良性貧血を発病していることが判明。福島県立医科大学附属病院に入院する。109日間におよぶ苦しい闘病生活の末、再生不良性貧血による合併症(肺炎)により、同年11月9日逝去。享年23。 1999年1月1日に行われた第43回ニューイヤー駅伝に、生前所属していたNECが東日本地区代表として参加。チームメイトは、ユニフォームに喪章をつけて駅伝に臨んだ。この出来事はニューイヤー駅伝の放送で、大輔の訃報とともに紹介された。
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