佐竹義宣(さたけ よしのぶ) 1569~1633
○徳寿丸 次郎 右京大夫 左中将
◇父:佐竹義重 室:那須資胤女、多賀谷重経女 子:綱川内記信道 養子:佐竹彦次郎義直(義継)、(岩城)左少将義隆
父の補佐を受けつつ家督を継ぎ常陸・佐竹氏当主となって、陸奥・伊達氏、相模・北条氏相手に戦う。小田原征伐の際は、石田三成の斡旋で豊臣秀吉の下に参陣、これに従った。この時秀吉から常陸所領安堵の朱印を得て、実質的にも常陸を平定する。1597年下野・宇都宮氏改易に連座しそうになるが、三成の斡旋でこれを逃れ、1599年武断派7将による三成暗殺未遂事件では、逆に義宣が駆けつけて三成の窮地を救った。その為関ヶ原の合戦では、これまでの友誼から西軍に付こうとしたが、父や家臣の猛反対を受け、板挟みとなって旗幟を鮮明にせず動かず、その責を問われて出羽・秋田18万石に転封される。
◇父:佐竹義重 室:那須資胤女、多賀谷重経女 子:綱川内記信道 養子:佐竹彦次郎義直(義継)、(岩城)左少将義隆
父の補佐を受けつつ家督を継ぎ常陸・佐竹氏当主となって、陸奥・伊達氏、相模・北条氏相手に戦う。小田原征伐の際は、石田三成の斡旋で豊臣秀吉の下に参陣、これに従った。この時秀吉から常陸所領安堵の朱印を得て、実質的にも常陸を平定する。1597年下野・宇都宮氏改易に連座しそうになるが、三成の斡旋でこれを逃れ、1599年武断派7将による三成暗殺未遂事件では、逆に義宣が駆けつけて三成の窮地を救った。その為関ヶ原の合戦では、これまでの友誼から西軍に付こうとしたが、父や家臣の猛反対を受け、板挟みとなって旗幟を鮮明にせず動かず、その責を問われて出羽・秋田18万石に転封される。
佐竹義宣と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
このページでは「戦国武将覚書」から佐竹義宣を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から佐竹義宣を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から佐竹義宣を検索
Weblioに収録されているすべての辞書から佐竹義宣を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から佐竹義宣を検索
- 佐竹義宣のページへのリンク