伽羅橋の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:26 UTC 版)
室町時代、南朝の後村上天皇に所縁を持つ大雄寺の門前、芦田川に架けられた紀州街道の木橋で、材木に香木の沈香 (伽羅) を使用していたという由来が伝わる。「泉州志」という書物に「昔、この橋板沈香なり、ある人これを売って千貫の銭を得た。ゆえに千貫橋という」と記されている。1865年 (慶応元年) に大鳥郡今在家村(現高石市羽衣)・吉次郎が発起人となり石橋が架け替えられた。長さ11.1m、幅4.5m、勾欄・床板・主桁から橋脚まで、花崗岩の方形切り石を組み、緩いアーチを描く桁橋。3連桁の間には、各1列、30cm角の松材が用いられた。取り付き部は石垣とする。1988年 (昭和63年) に芦田川の改修工事に伴い、臨海部にある高砂公園に移設。2008年 (平成20年) 4月18日、登録有形文化財となった。
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