伊達神社 (色麻町)とは? わかりやすく解説

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伊達神社 (色麻町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 06:07 UTC 版)

伊達神社

拝殿
所在地 宮城県加美郡色麻町四竃字町3
位置 北緯38度32分43.1秒 東経140度51分04.0秒 / 北緯38.545306度 東経140.851111度 / 38.545306; 140.851111 (伊達神社)座標: 北緯38度32分43.1秒 東経140度51分04.0秒 / 北緯38.545306度 東経140.851111度 / 38.545306; 140.851111 (伊達神社)
主祭神 五十孟神
経津主神
武甕槌神
社格 式内社名神大
村社
創建 (伝)延暦年間(782年-806年
本殿の様式 流造
札所等 色麻古社三社
例祭 10月28日
地図
伊達神社
伊達神社 (宮城県)
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伊達神社(いだてじんじゃ)は、宮城県加美郡色麻町にある神社式内社名神大社)で、旧社格村社鳴瀬川の支流・花川の左岸にある円墳「御山古墳」の上に鎮座する。

祭神

主祭神
合祀神

歴史

延暦年間(782年-806年)に坂上田村麻呂の東征の折に勧請されたという。一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神(五十孟神)を勧請したともいう。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「陸奥国色麻郡 伊達神社 名神大」と記載され、名神大社に列した。

伊達氏陸奥守となると、伊達氏に憚り、社名を祭神のうちの一柱である経津主神を祀る香取神宮にちなみ「香取社」に変えた。1872年(明治5年)になり「伊達神社」へと名を戻した。

境内

色麻古社三社

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

当社を含め、以下の三社は「色麻古社三社」と呼ばれる。

鳴瀬川を挟んで三社が三角形を描いて鎮座しているのは、「東国三社」といわれる常陸国一宮鹿島神宮下総国一宮・香取神宮茨城県神栖市息栖神社利根川を挟んだ三角形を形成して鎮座しているのを模したものだという。[1]

出典

  1. ^ ご挨拶”. 鹿島神社. 2012年8月27日閲覧。

外部リンク

  • 伊達神社(宮城県神社庁)
  • 伊達神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)



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