仮説の好戦性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 03:30 UTC 版)
時に仮説は攻撃的である。新しい仮説は往々にして古い仮説を否定する形で提出され、両者の間に強い対立を作る。当然にその両者の当否を判断することになるが、これは往々にして相手をいかに否定するかを競う形になる。[要出典] 極端な例の一つに、免疫の仕組みに関する理論がある。エドワード・ジェンナーが種痘という形で発見した免疫は、ルイ・パスツールによって一般化され、弱毒化した病原体であるワクチンを予防接種することによる感染予防という方法が開発された。その働きの本体がどこにあるかの追求から、それが血清にあることがわかり、これが血清療法を生んだ。ところが、イリヤ・メチニコフは食細胞を発見してこれが病気を予防する働きをしていると判断すると、それまでの血清の働きに関する知見いっさいを否定した。ここから両派による自己の正当性を証明し、相手方が間違っているとの証拠を示す競争がおこり、両派の対立は感情的なものにまでなったという。[要出典] 仮説はこのように極端な形を取る例が少なくない。これはその対立によってこそ議論や研究が進む面があるからで、時に学者はすべて事実に合致しなくても、必要と判断すれば仮説を提出する。グレゴール・ヨハン・メンデルは彼の遺伝法則に合わない実験結果があることを知っていた。「発生学の父」とも言われるカール・エルンスト・フォン・ベーアの言葉に次のようなものがある。 「不正確でもきっぱりと断言された一般的な問題の結論は、その不正確な面を訂正しようとする意欲に駆り立てられるから、正確ではあるが控え目な主張よりは科学の発達にとって有益なものである」[要出典]
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