仏領スーダンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 仏領スーダンの意味・解説 

フランス領スーダン

(仏領スーダン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 22:54 UTC 版)

フランス領スーダン
Soudan français (フランス語)



1880年 - 1960年
国旗
国歌: La Marseillaise(フランス語)
ラ・マルセイエーズ

:フランス領スーダン
黄緑:フランス領西アフリカ
グレー:その他のフランス植民地
フランス共和国
首都 バマコ(1892年から99年はカイ
元首等
xxxx年 - xxxx年 不明
面積
1959年 1241238km²
人口
1959年 4,407,000人
変遷
設立 1880年
セネガルとの連邦 1959年
現在 マリ

フランス領スーダンフランス語: Soudan français, 英語: French Sudan)は、1890年から1902年および1920年から1960年の間、西アフリカに存在したフランス植民地である。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。

歴史

前史

現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオー・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。

1890年 - 1902年

1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。

セネガンビア・ニジェール

1902年にはセネガルニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェール植民地となった。

オー・セネガル・ニジェール

1904年にはフランス領オー・セネガル・ニジェール植民地英語版となった。

1921年 - 1960年

1919年フランス領オートボルタ(現ブルキナファソ)が分離し、1921年12月1日には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。

1933年フランス領オートボルタが消滅した際、領土を増やした。

1958年10月4日国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仏領スーダン」の関連用語

仏領スーダンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仏領スーダンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランス領スーダン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS