今泉翁に傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 09:34 UTC 版)
十余年にわたる政治生活中、その華やかなる時代を政務官時代とすると、最も有意義だった時代をその後の彼自身の政治的修養期としての1937年(昭和12年)の夏に於ける清明会時代と翌1938年(昭和13年)の晩年に及んだ大日本運動時代にこれを求めることが出来る。彼のこの時代の政治的再認識は、彼の真骨頂と円熟と透徹さを見せて、凡有る意味に於いて異常なる躍動を見せた。然しその晩年に至っては彼の健康問題がその死生を決定せしめたことは、未完成の政治家としての彼を永久に封ぜしめたのである。 彼は生きながらにして正しく、強く政治の理想に進んで行ったが、しかし斯く生きつつも、時々襲い来る病魔にはどうすることも出来なかった。彼は一つの人生観といったものに徹していたようである。いわゆる死生の問題に深い自覚を持っていたようであって、これは家族とかごく近い縁者にそのことを漏らされている。「自分の健康は永くこのままの政治生活を許さないであらう。とすれば自分の處を得る世界は他に求めねばならぬ」と語っている。そしてそれは今泉翁に師事する動機となり、やがて彼の理想的生活への方向として神官の職について、神の道とその奉仕へ精進して見るといふ天命を知った。しかし、これは時間的に実現には至らなかった。
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