今宮祭と今宮社の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 19:02 UTC 版)
現在の今宮神社がある土地には、794年(延暦13年)の平安遷都以前から疫神を祀った社があったとされる。平安遷都後にはしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、祇園社(八坂神社)などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた。994年(正暦5年)にも都で大規模な疫病がはびこったため、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し、音楽奉納などを行った後、疫災を幣帛に依り移らせて難波江に流した。民衆主導で行われたこの「紫野御霊会」が今宮祭の起源とされ、京都の他の都市祭礼と同じく災厄忌避を祈願する御霊会として始まった。 1001年(長保3年)にも疫病が流行したことから、朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿・玉垣・神輿を造らせて今宮社と名付けた。大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱の神が創祀された。疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、やがて今宮社の祭礼として定着して毎年5月に行われることとなった。
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