今体派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 01:40 UTC 版)
明朝が滅亡し清朝に服属しない為に日本に亡命してきた黄檗宗の禅僧たちによって、新しい篆刻がもたらされた。隠元・木庵・即非・高泉や黙子如定、蘭谷などいずれも篆刻をよくした。とりわけ承応2年(1653年)、長崎に渡来した独立性易は学識深く、書を巧みとし、本国にいたときから著名であった。彼は隠元に伴って江戸を訪れ、正しい書法を啓蒙し、明代の篆刻を広く伝えた。よって独立は日本篆刻の祖とされる。弟子の高玄岱を通じて榊原篁洲・池永一峰・細井広沢などの初期江戸派と呼ばれる人々の間に伝わった。渡来僧の中でもうひとり特筆すべきは延宝5年(1677年)に来日した心越である。彼は徳川光圀に仕え、榊原篁洲や松浦静軒など篆刻を多くの人々に教えたという。 この新しい篆刻の風は大坂では新興蒙所や佚山らによって初期浪華派に、長崎では源伯民らによって長崎派が形成されるなど日本各地に伝播した。これらの明清の篆刻を奉ずる一派を「今体派」と称する。この今体派は特に「飛鴻堂一派」の流れを多く継承しているとされる。
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