交通システムとしての円形交差点(一方通行化)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:11 UTC 版)
「ラウンドアバウト」の記事における「交通システムとしての円形交差点(一方通行化)」の解説
交通システムの一環として設計された円形交差点は、古代ローマの馬車の構造により、使われてきた。日本では、昭和40年代に、学校・病院などの玄関前に作られた。しかし、その後車両のサイズが大型化して使用に適さなくなり、すたれてきたが、平成26年から再認識されている。一方米国では、ウィリアム・フェルプス・エノの提案によって1905年にアメリカ合衆国(以下、アメリカ)のニューヨークに作られたコロンバスサークルが最初のものである。同時期に、フランスではウジェーヌ・エナールの提案でパリのシャルル・ド・ゴール広場の周りが円形交差点として1907年に整備された。交差点内での車両の通行を、反時計回り(右側通行の場合)の一方通行にしたことが最大の特徴である。イギリスでは1909年、世界初の田園都市として建設されたレッチワースに作られたとされている。イギリスでは円形交差点をジャイラトリー・システム (gyratory system) とも呼ぶが、1926年からはジャイラトリー・システムに代わってラウンドアバウトが円形交差点を指す公式な名称になっている。日本では1936年(昭和11年)に作られた旭川常盤ロータリーなどが良く知られている。
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